白食器を全て手放す
前回書いた記事で白い食器は残すと話しましたが、
素朴で温かみを感じられる和食器の魅力。
使い続けていくうち愛着が湧き
この機に白食器を全て手放しました。
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頭で考える好きと心の矛盾
前回の記事で話しましたが、白食器に盛られ食卓に並べられた料理を目の前にして、
ふと感じてしまった「味気なさ」。
もしかして本当は以前からそう感じていたのでは?と自分に問いました。
白食器を選んで持ち続けた理由は何か?
自分に問うと、
当時はスッキリ、シンプル、オシャレに見える等選んだ理由はそれなりにありますが、
要は
~だから~こうなるっていうような
頭で考えてだからこれは自分の好きなこと、ものなんだと。
例えば/白い食器はシンプルでおしゃれに見えるから=自分の好き(気持ち)
清潔感があってシンプルでスッキリとした
白食器を目の前にして自分が感じていたのは「味気なさ」。
そのものに対して暖かみを感じられてはいなかったこと。
食器に限らず、そのものやことを頭で選ぶことが当たり前(習慣)になってしまっていると、
本当は納得していなく矛盾した気持ちを持っていたとしても
自分の気持ちを納得させようとし更に思考が働いてしまう。
頭の声はこれは~だから良い!正しい!
でも、心の声はそうは感じてないけど
それを自分の思考が頑なに正当化して自分の心を納得させてしまうような在り方。
今に始まったことではないですが、今回食器を通じて改めて
「頭で考える好きと自分が感じる好き」について深く考えさせられました。
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自分は何を感じたいのだろうか?
前回記事で、味気なさを具体的に言うと暖かみを感じられないと話しました。
やはり。頭で考えると答えはでません。
自分が感じてることからしか答えが出ないんだということが
府に落ちた瞬間でもありました。
自分はどんな暮らしがしたい?と頭で考えても答えはでませんが、
「自分が暮らしを通じて何を感じたいのか?」
ネガティブな気持を感じたことをヒントに自分が感じたい気持ちを聴いてみると
「素朴で暖かみのある雰囲気を暮らしの中で感じたい」が自分の感じたいことでした。
スッキリでもオシャレでもシンプルでもない。
素朴で暖かみを感じられることが自分にとって一番大切なこと。
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頭で考える好きより自分の心で感じる好きを
もの選びだけに関してではなく、こうして日々の暮しは小さな選択の連続。
自分の心で感じる好きを選択して生きたいと改めて思うこの頃です。