【備忘録/父への誕生日プレゼント】父専用(自分専用)という特別感

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以前書いた記事の頃にふと父のことを思い出した。そして「そうだ今年の誕生日プレゼントは食器をプレゼントしたいな。。」という思いが湧いた。

昔は父専用の食器があった

昔は父専用の食器があった。湯のみ、お茶碗、そして箸。自分が子供の頃(物心)に父が使っていた父専用の湯のみのデザインを今でも覚えてる。存在感がある大きな湯のみやお茶碗に箸。何故お父さん専用なことを子供ながらに知っていたのか?というと、

母が「お父さんの湯のみとってきて」とか、食事の支度のときなど子供たちに言っていた。そして食事のときは必ずその食器が父の前に並べられる。

教えられたというよりも毎日のやり取りの中で、子供ながらに「これはお父さんのコップなんだ。。」「これはお父さんのお箸なんだ。。」「これはお父さんのお茶碗なんだ。。」となんとなく覚えて自覚していってた。

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感じていた特別感

当時、子供ながらに感じていたその父”専用”という意味合いに含まれていた特定の者だけが使うものに対して感じていたのは、今だから言葉にすると解るが”特別感”だった。

父”専用”というものがそこにあることが家族の間で自然なことだった。

 

 

今は父専用の食器はない

何時からだろう?と思い出すと、10年前くらいからなかったのかも。。

それまでは変わらず家族で食事をするときなど、自分が子供の頃から聞き慣れている母の「お父さんの~とって」が家族の間のやり取りで聞こえたいた。

父自身が自分で購入していたわけではないけど、母が父のために購入して「お父さん”専用”のもの」ということにしていた。長い間使い続けていて割ってしまって以来購入していないということだろう。。

お父さん”専用”という父だけが使うものに対して、父自身もきっとそのものに価値があるというよりも、家族の中にある自分専用という自分だけが使う特別なものとして、そのものに価値を見出していたと思う。

父”専用”のカテゴリーをつくる

家族そろって最後に食事をしたのが3年前。そう既に父”専用”の食器はなくて、家族で共有して食器を使っている。

息子も成人しそして自分自身の生き方を見直し向き合っていくために家族と距離をとって3年経つ。母とは数カ月に一度外で食事をしたり(コロナ前)、安否確認の電話をして父母と話す程度。

父は今年の5月で82歳だ。「寝た切りになるぐらいなら生きている価値などない」という価値観を持っている父だが。。

娘としては「存在そのものに価値がある」と思う。父には寝た切りになっても長生きしてほしい。 

「お父さんに食器をプレゼンンとしたいな。。」と思って食器店へ行って父へのプレゼントを選んでいても、自分の想いの深層が解けずにいたけど。。

 

あの頃のように家族の間にあった父専用(自分専用)という特別感。老いていく父に対して娘として家族の中で改めて父自身に感じて欲しいという想いがあったからだった。いや記事を書いてきづいたけど。。自分が父に対してそう感じたかったのかもしれない。