あの日以来、「感覚の言語化」というワードがずっと頭の片隅にありました。
苦手だけれどできないわけではないが時間がかかってしまう。「もう少し自分の感覚を言語化するペースを早めたいなぁ」と、そんなことを思いながらあの日から数週間。
ここ最近、ふと思いついたことがあって恥ずかしながらやってみたことがありました。それは「一人グルメレポ」。
ここ最近お気に入りのパンが見つかり「なんでこれって美味しんだろう?」とふと疑問に思ったことがきっかけで、そして日記以外にも、もしかしたら感覚を言語化する(アウトプット)練習になるのかも?!と思いやってみることに。
一応真剣に真面目にやっていましたが、なかなか直ぐには美味しいしを具体的に表現するのが難しい。
「おいしい」「気持ちいい」だけではなく「楽しい」とか自分の中で湧きおこる自分の感覚に対して何がどうしてどどうゆう理由でそういった気持ちになったのか?
一人食レポに限らず、自分の感覚を具体化する(アウトプット)練習を日々の習慣から意識的にやっていったら感覚を言語化するペースも上がるかも?と思いました。
まだ始めて間もないですがちょっと気付いたこと。。
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何故感覚を言語化するのが苦手なだろうか?
これは自分で思うこと(体験経験から)なので確かとは言えませんが。。
①もともと感覚派だから
これは私も家族もそうです。(脳タイプでいうと右右脳です)
②自分の意見や思っていることを表現することに抵抗があるから(性格や特性も含)
(こう思う(考える)ことは良い悪い、こう感じることは良い悪い、これを言ったら~に思われるなど常に人がどう思うか?どう思われているか?が無意識に自分の判断基準になってしまっているなど。。)
②の背景にある根本的原因は特に幼少の頃など自分の意見や考えていることなどを表現できるような対等な在り方の関係性ではなかったなど。
大きなことより小さなことから
いきなり自分のやりたいことは?とか自分の進むべき道とか、抽象的な質問を自分にしても答えられないの当たり前で。。。
普段の暮らしの中で目の前のことに意識を向けているようで、頭の中は他のことに意識が向いている(今起きていないことや過去のことなど。。)
目の前にある今自分の五感の情報を受けとってあげることよりも、今目の前にないこと(今起きていないことや過去など)に対して反応してあれこれ考えていることが習慣化していると、どんどん自分の五感の情報に対して鈍感になってしまうんだなと。
一日の終わりに日記を習慣にしてますが、今目の前のことに対して自分の感覚を言語化する習慣も意識的に取り入れていこうと改めて思いました。